JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
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富士宮口 五合目の駐車場が満杯で三合目から歩いた時のこと
八合目で休んでいると隣り合わせた男が「俺はここで止める」と言っている。友人らしき男が
「なんだよ.頂上まで行くといってたじゃねえか」と非難した。すると
「予定外の三合目から二合分余計に歩いたんだ。俺にとっての頂上はここだ.待ってるからお前はいってこい」と言う
「ふざけんな.おめぇみたいな奴とはもうつきあわねえよ」
…友人はそういって憮然とした。
富士山を目指す人は様々で装備も気構えも千差万別、まさに俗世間そのものである。
しかし普段はろくでもない若者も、小学生も、太ったおばさんも。ここでは頑張っている、そうするしかない。
ここではお金の効能がなく、秘密の近道もない。ずるい行為のしようもない。あらゆる煩悩の入り込む隙間がなく、ただひたすら歩くしかない。
極めてシンプルな、そして平等な境地に追い込まれる。
やがてふと、恍惚感のようなものを感ずる時がある
なにもないピュアな世界を垣間見たような気になる。。。
仲間割れの二人の顛末は見届けなかったが、この二人が下界で決裂したとは思えない。山はそういう所だ。再会して「がんばったなあ」…「待たせたなあ」で終わりではないだろうか。
八合と頂上という差はあったにしろ共に頑張ったあげくの結果である。
しかし感心したのは屁理屈男のきっぱり諦める決断の方である。
しかも一応の(笑)筋は通っている。三合から八合目まで登ってきた男だ.ただの怠け者の論理でもない。決断力のない私には、むしろその主体性が羨ましかった。
富士山に登るという、苦しく「無益な」ことに努力する。
人間はなんと妙な生き物なことだろうかと思う。
夏のひととき、3776mの高地に、善なる俗界ができあがる。
執筆者: kazama
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