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2016年10月24日 16時08分 | カテゴリー: 総合

いらんサービス

給油して去ってゆくクルマに、スタンドマンがかなりの間、最敬礼していた。

そのような光景を美しく感ずるだろうか。私にはむしろ違和感と見苦しさまで感じてしまう。

たかが給油したぐらいで最敬礼とは大げさすぎるのではないか。寄付されたならともかく,対価としての燃料を提供されたのだから貸し借りはなく、五分五分の関係である。

あらゆる取引がそうであって金のやりとりは物々交換の進化したものと思う。

いつから買う側がお客様と称され神様になったのか、競合する製品の中で選んでくれたお礼ならともかく、へりくだりすぎているように思う。しかもこういう「サービスの品質」が他社との競合部分になり、エスカレートしている。

価格競争がデフレを呼び、薄利ゆえ、さらに多くを売るためのサービス競争がその構造だろうか。

スーパーのレジでさえ慇懃にお辞儀されるのは却って居心地がわるい。困るのはそれでお客はエライのだと思い込み、さらなる要求やクレームをつける。売る側はそこに基準を合わさざるを得ない。

品質面でもクレーマーまで視野に入れて、「食べられません」みたいな余計な表記までしなければならない。それらのすべてにコストがかかり、結局は製品価格に転嫁される。

そんな悪質なクレーマーは社会の敵と言えるが、過剰サービスの過当競争がそれを育てているといえるのではないか。

トイレをきれいに使っていただいてありがとう云々みたいな歪曲した表現はいやらしく、ストレートに汚さないで下さいのがすっきりする。

そんな空々しいバカ丁寧な表現があふれ、社会全体で余計なサービスをしあっている暑苦しさがある。

そしてそれはどっかでストレスに繋がるのではないだろうか。ふんぞり返っているお客の後ろ姿に深々と最敬礼をしたいわけがない。それを強いられる若者にはきっとストレスがたまるだろうし、それを見た子供はやがてそれが当たり前だと思うようになる。

もっとシンプルな、対等でいられる、尊厳を安売りしなくていい世の中にならないだろうか。鬱憤が充満したような世相にはそんな過剰サービスの裏で、その反発が作用している気がする

そんな無駄なことはお互いさまでやめようではないかという機運がいつか持ち上がるだろうと思っていたが、その気配はまったくない。自社だけでそれをしたらえらいことになる(笑)こういうのはクールビズみたいな運動にならないとできない。

ノー残業ディならぬ、ノーサービスディ、、、さばさばして気分いいんではないだろうか

執筆者: kazama

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