何年か前に日本で初めて、難民というラベルが貼られている中年の男性に会った。服装はボロボロでヒゲは剃っていない。恐怖におびえているような表情をし、目ではひどく絶望を訴えていた。
そのとき私はただの学生だった。できることならさっさと面談を終わらせて、どこかで友達と合流して遊ぶことばかり考えている頭の空っぽな、学生だった。
彼が話す言葉を私は理解できたが、内容はどうしても理解しがたいものだった。聞いていると耳を疑うようなことばかり。環境に全く恵まれず、ここまで不幸な境遇の人に出会うのはこれが初めてだった。彼は話している途中に突然泣き出してしまった。私はそのわけも理解できず、その口から流れる痛ましい言葉をただ訳し並べただけだった。
そのとき、その人は偶然にも私と同じ部屋にいた。ただ、彼はガラスを隔てた反対側、私はこっち側に座っていた。
今もよく覚えている、その異常な空間。そして彼を見て、思ったことを。たった一枚のガラスで仕切られているこの空間の両側にいる人間のこの運命の差。私たちの間にあるこの深いギャップ。彼と私の世界のあまりにも大きい違いに思わず鳥肌が立ってしまった。
でもよくよく考えてみると、私は少し運がよかった人に過ぎないのかもしれない。隣の国に生まれたから。もしも国境の向こう側に生まれてしまっていたとすれば、私は今ガラスの反対側に座っていたのかもしれない。
それがサラムという物語を書くきっかけになった。最初は色んなことを経験したいという軽いノリで始めた通訳のアルバイトだったが、彼との出会いを、いつか何らかの形で綴りたいと思った。
でも残念ながら、書きたくても、私の日本語は不十分で物足りなかった。そして、間違いだらけの日本語で書いても、羞恥心から、人に見てもらうことはできなかった。
しかし、運良く、大学の先生が私の文章を直してくれる友人を紹介してくれた。そして、何度か大学のレポートやら趣味で書いたエッセーを直してもらう内に、今という、環境そして周りの人々に恵まれている時期であれば書けるだろうという気がした。
私が出会った、その不運な人たちにいつか幸せが訪れることを深く願う。そして、私を幸運だと感じさせてくださった周りの方々に、深い感謝を。
作品は岩波書店発行の雑誌「世界」2007年10月・11月号に掲載されました。また09年文芸春秋社から「白い紙/サラム」として出版されておりますので、そちらでお読みください。