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留学生文学賞授賞式 表彰式ルポ 2009

映像制作 : 荒木裕子

留学生文学賞 2009年授賞式 ししろうの授賞式ルポ

 一番乗り

第1回ボヤン賞(現在の「留学生文学賞」)募集がはじまって10年。「毎年、授賞式まで漕ぎ着けるとホッとする」と1年間の苦労を振り返るスタッフらは今年は遠方からの受賞者も多く、早めにスタンバイしていた。スタッフには沖縄や仕事先の中国からこの日に合わせて帰省を伸ばした日本語教師も。

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5時すぎ、会場となった神田・学士会館に留学生で一番乗りは広島から小説「明日、晴れ」で受賞の張秉涛さん(中国)紺のスーツにネクタイ姿でニコニコわらっている。「日本に来て3年ちょっと、東京ははじめてで楽しみ」と栖原さんに笑顔で挨拶。「実はこの賞を紹介してくれたのは妻なんです」という。その奥さんも自費で参加した。

「物を書くのは好きで俳句を書いたりしましたが、小説は始めてチャレンジしました。はじめは簡単に書けるかなと思っていましたが、自分の思いを日本語にどう表現したらいいか、相手にわかってもらえるように、小説としてもっと良い表現はないのかとか。4回くらい繰り返し書き直した」

奥さんも一緒に今回応募しそうだが、残念ながら、入選できなかったとか。横に居た住枝さんが「オレが落としたんじゃないよ」と笑いをさそった。気さくな選考委員と受賞者の間に和やかな輪が広がっていく。

 主役ら続々

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まもなくスーツ姿で肩に楽器の袋を担いだ小柄な男性があらわれた。小説「再会」で受賞のクリコフマキシムさん(ロシア)だ。東京芸大で音楽文化学を学んでいる。「言葉と文化は離れることはできないから、書き進めば進めるほど自分の日本の文化の知識や表現力が足りないなと思いました。今回、小説のアイデアはあったんですが、決まり文句とか、勉強の分野が広がりました」「楽器はあくまでも趣味です」と持参したバラライカを他の受賞者に紹介すると、一同はじめてみる珍しい3角形のロシア民族楽器に興味津々、「どれどれ」と栖原教授(東京大学国際センター教授)も手にとって「意外と軽いもんだね」。

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次に沖縄から「旦那へ」「ただいま」「色節(いろぶし)」の詩3編で受賞したベーク テオドーラさん(ハンガリー)が到着。赤い太縁の眼鏡が似合う大柄で快活な女性だ。「沖縄の工芸を学びたくて、沖縄の大学を選んだ。趣味で三線もやります。」と明るい笑い声ががロビーに響く。そして「新緑」「汽車」「白いセーター」で受賞の周韻 さん(中国)。やはりスーツに白いブラウスのマジメな服装はお国柄か。「日本に来て半年、東アジアとマスメディの関係が専門。授業は英語でやっているので、日本語の勉強にはなってない。書いた時は自分を別の世界において、物事をあらためてみることができ、楽しいいい経験だった。詩を書くという楽しいことをやっているので、楽しむようにした。中国語で書くのはある意味で難しい。詩は限りある言葉で無限に表現できるので楽。源は生活にあることですから、感情を貯めて、1日とかでまとめて、2週間くらいで書きあげた」。

ついで、小説「母と娘のゴールデン街」で受賞の金 珉廷さん(韓国)も到着。「外は雨だったが、たがいに自己紹介し合う受賞者たちはあっというまに仲良くなって話はどんどん弾む。

 執筆楽しかった

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神戸から今朝、東京に着いたというレ・ファン・バオ・カンさん(ベトナム)は小説「月光」で受賞。ほっそりした身体に真っ赤なアオザイはひときわ目立つ。「小説を書くのははじめてだったけど、苦労は全くなかった。正しく伝わっているかどうか別ですから、自信がなかったので、自分の考えていることが、ちゃんと伝わっているかどうか、友達に読んでもらったら、『分かるよ、おもしろいよ』って言ってくれたことが楽しかった」「擬音語 擬態語の面白さが勉強すると段々わかってきて、日本語は感覚的な言葉だなと実感しました」「寮のポスターを見て、この賞をはじめて知り、テーマは4年くらい考えていたことがあったんで、3週間で書きました」。

「日本語で書くのは楽しかった」といとも簡単に言ってのけるバオ・カンさんに、留学生相談をとおして、日本語を無理矢理詰め込む勉強法で悲鳴を上げる学生も長年みてきただけに栖原さんはちょっとおどろいた表情だ。

開会も近くなり、受付も混雑、今年から財政難による総有料化でお客さんの入りを心配していたスタッフもほっとして笑顔になる。

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身体にぴったりのレ・ファン・バオ・カンさんは、赤いバラのついた受賞章をつける場所に苦労していたが「よく似合うわね」とほめられ、照れまくり。最後の1人、東京は初めてというバットトルガナイラムダルさん(モンゴル・小説「古い鉄砲の欠片(かけら)」で受賞)が友人につきそわれて15分遅れで到着。受付で「早く早く」とせかされて恐縮した表情で会場のドアへ走っていった。

 式が開幕

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「第7回留学生文学賞授賞式」開会この日の司会のために好きな酒を1週間断ったという選考委員の住枝清高氏(檸檬屋主人)が、開会のあいさつ。檸檬屋で2000年に誕生した留学生文学賞のいきさつと選考委員の顔ぶれを紹介したあと、今回の応募状況について 栖原曉氏が説明。

「今回は2009年の4月、留学生を100人以上受け入れている大学や留学生会館にポスターを貼りました。そして去年の10月末で締め切りにしました。途中でシリンネザマフィさんというイランの第5回の受賞者が、芥川賞の候補にノミネートされて、外国人ということで新聞も一斉に取り上げ、その影響もあってか、126人から計133作品が届きました。

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内訳別では、今回は小説が56と一番多かった。前回は35だった。詩は少し減って30から24に、エッセイは40から44に増え、不明なものが9件。国で見ると20カ国、前回が16カ国、その前年が 13カ国と、年々数も、出身国も増えてきた。大学も北は北海道から南は沖縄まで、さまざまな大学や教育機関に在籍する学生達からの応募がありました。11 月に予備選考を行い、近くの選考委員、ボランティアなどで全部読みまして、小説が10、詩が5、エッセイが1の16作品に絞りました。1月に選考委員で最終選考して、奨励作品賞7作品を選びました。残念ながら今回は大賞はありませんでした」。

 名物の「辛口」

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続いて選考の経過と結果について呉 智英氏(評論家)がいまや表彰式名物の辛口評論。

「本当は私ではなく、辻井喬さんがおやりになると非常にいいんじゃないかと思いますが、辻井さんはお優しい性格で作品の良い所を選んでそこを指摘して評価されるのでいいのですが、私はむしろ"これではだめだ"というところを指摘して評価しますのであまり良くないかも知れません」。「踏まれる麦は育つように厳しい方が良いかも知れませんので私からお話させて頂きます。年々応募数がどんどん増えてきております。だんだん知名度、認知度が上がってまいりまして、留学生の間でこれに応募しようという声が高まってきたというのがこれに反映されているように思います」。

「しかし必ずしも量が増えたからといって、良い作品が増えている訳ではありません。2年前はシリンネザマフィさんが、大手のマスコミにも注目されるような作品をお書きになりましたけれども、今年はあまり傑出した作品がありませんでした。もっともですね、この留学生文学賞が一般の出版社が行います新人賞とは違って性格を異にしております」。

潜在成長力

「留学生というのは、異国の日本でカルチャーギャップに悩みながら自分のアイデンティティを保ち、且つ日本文化をどのように摂取するか、そして専門も一人一人異なっております。文学をやっている人もいれば、理科系の学問をやっている方、あるいは社会学のようなことを専攻している学生もいらっしゃいます」。

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「自分の専攻は専攻で生かしながら、文学という形で自分のさまざまな思いをぶつけていく。それを皆で後押ししよう、そしてそれが上手くマスコミに取り上げられれば結構なことで、マスコミに売り込むことを第一にはしていません」。

「従って、必ずしも作品としての完成度が高いものがないからダメだとか、そういうことにはならないわけですね。作品で何を言いたいか、何をこの人は悩みながら文学作品にぶつけるのか、その辺に注目しまして、残念ながら大賞作、入賞作はありませんでしたが、奨励作として、まだ内に抱えているものが伸びそうだということで、7作品を選びました」。

詩の貧血症状

「全7作のうち、詩が2作入っております。特に住枝さんが詩人の溜まり場、みたいな所をやっておりますので、どうしても日本では実はあまり盛んではない詩のほうに肩入れしたくなってくるんですね。外国人の方が日本人よりも詩を愛している。そこに注目しようということなんですが、私はこれはなかなか良いことだと思うんですね」。

「余談になりますけれども、現代詩の詩人という人達は、大体発行部数が900部、実際に読んでいるのは150部くらいじゃないかと言われているんですね、 1億3千万人いてそのうち150人しか読まない詩というのはいったい何なんだろう、というのは私は前からそれを批判しておりますけれども、国によってはそうじゃない所はいくらでもあります。留学生の方たちの出身の国で、詩を多くの国民が愛している国は現にあるんですね。そういう各々の国の文化状況というものを、各々の応募作に反映されているんじゃないかという気もいたします」。

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「そして日本、この詩の貧血状況、そして小説も、実はこの3、40年大きく変わってきています。私は今63歳なんですけれども、若い頃から留学生作品を読んでいた者として言わせていただきますと、1970年以後、日本における小説の意味というのは大きく変わってまいりました。これを良しとするか、悪しとするか、あるいは良しとした場合でもこれを小説という形で1970年以前のものと一括りにして語っていいのかという、大きな文学史、さらに言えば文明史的な転換がそこに換算されます」。

「それは日本において、そうであるということは、各々の国において文明の質、文明の発展度が違いますので、ここにいらっしゃる留学生の方もそれをなんらかの形で日本に来て、感じていらっしゃると思う。今回の各々の作品の中にそれが反映されていないとしても、新たな、それこそ日本の文学界、小説界、詩壇にゆさぶりをかけるような、そういう作品をこれからも発表して頂ければ私達も、ボランティアでこういうことをやっている意味もあるのではないかと思います。というのが私の総括的な考え方でして、かなり辛めのお話になりました」。

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一種のSF

「各々お一人づつ、短いコメントを私がお話しまして、これからの奨励者、受賞者の方々に、何らかの刺激、ヒントにでもなればと思います。受賞されたのは、国がいろいろありまして、今年は6か国7作品です。国の事情が違いますので、それを我々が考えながらこれを拝読いたしました」。

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「1番目がクリコフマキシムさん、ロシア人の方の小説「再会」です。東京芸大にいらっしゃいまして、ご趣味で、バラライカを弾いていらっしゃるという、多趣味な方なんですけれども、この作品は、評価が二つに分かれました。面白いという人と、これはちょっとあまり好きになれないという人と二つに分かれました。もし好きだという人だけの意見を集めればひょっとしたら入選していたかも知れません。褒めるほうの方は、これは端的に面白い、よく出来ている、これは一種のSFといったらおかしいんですけれども、政治状況を一種のフィクションにしている作品で、なかなか社会的な意味のある作品ですけれども、そこがどうも簡単に割り切りすぎてしまってこれは好きになれないという意見の二つに分かれました。あまり中間はなかった。という訳で奨励作になったんですが、見所があるということで奨励作になったわけですから、これからも頑張って下さい」

欲しい「深み」

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「2番目は周韻さんの詩『新緑』『汽車』『白いセーター』です。素直な詩なんですね。今日本ではプロの詩人という方はこういう素直な詩はなかなか書くことができません。そこのところが評価されたんですけれども、素直な分だけ深みがないと言いますか、噛んでも味がない、そういう感じがどうしても拭い切れない。素直さを残しつつ更に、自分の持っているものを伸ばしていって頂きたいので、奨励作を与えることにいたしました」。

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今一歩奥に

「3番目、ハンガリーのベークテオドーラさんの詩3編『旦那へ』『ただいま』『色節』。この方は経歴がなかなかユニークで、ハンガリーからいらっしゃって現在いるのは沖縄県立芸術大学というところにいらっしゃいます。詩はいくつか応募されているんですが、その中に『琉歌にのせて』琉球の歌ですね、沖縄民謡を主題と言いますか、テーマにして短い言葉で民謡のように非常に耳に優しく語るようなリズミカルな詩を書いていらっしゃいます。このあたりなかなかユニークなんですけれども、しかしやはり今ひとつその奥にあるものが出し切れていない感じがするので入賞、入選にはやや及ばない、これから頑張って頂きたいというので奨励作ということになりました。この作品は檸檬屋賞も受賞となりました」。

工夫こらして

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「そのあと4作小説が続きまして、モンゴルからいらっしゃいました、神戸大学の学生であるバットトルガナイラムダルさん。『古い鉄砲の欠片』という小説です。これはなかなかご自分の体験を生かして、同時に、技法的にも二つの語り手が交互に出てくるようになっていて、なかなか工夫がされているんですけれども、『古い鉄砲の欠片』、これはモンゴルの古い諺(コトワザ)らしいんですね。昔の鉄砲の鉄は頑丈で、性質が良かったことから、昔地位の高い職業などについていた人、あるいは多くの業績を残した人に『古い鉄砲の欠片』という言い方をする。それに因むという注がついています。けれども、古い鉄砲の"欠片(かけら)"というのは、欠落するの欠、それに一片二片の片と書きますが、こんな難しい日本の漢字についてもよくご存知で、頑張って書いていらっしゃいます。とはいうけれども、こういう難しい漢字を使うことが、果たして日本文化をよく理解しているというのに通ずるかについては日本語学の点から疑問が無きにしも非ず。必ずしも難しい言葉を使わなければ良い作品が書けないわけではありませんし、日本文化の深奥に触れるには、必ずしも難しい言葉を使わなければいけないとは限りません。ただし、難しい言葉を知っていれば、日本文化の深いところまで自分の目が届くことにはなると思います。意図的に難しい言葉を使うことはないということですね」。

体験素直に

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「それから、金 珉廷さんの韓国からいらっしゃった女性の、東京外語大学の学生の方です。奨励作品であると同時にCASA賞という、ボランティア・グループ留学生相談室からも特別賞が贈られております。この人の『母と娘のゴールデン街』これは小説なんですけれども、これはご自分の体験がおそらくは入っていると思います。東京の新宿あたりに様々な人たちが韓国から来てコリアンタウンになっている。その辺の話をテーマにしながらカルチャーギャップであるとか、異国における孤立感のようなものが、なかなか素直に描かれていて、私はこれは非常に読みやすくて良いと思いました。そのもう一つ向こうにあるものがやはり描かれていない。これはどの作品にも共通しているんですけど、そのためにこれも奨励賞」。

体験と格差

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「それから、張秉涛さん。広島経済大学の学生です。「明日、晴れ」という小説です。これもお国における、何か体験のようなものが奥に反映されている感じがいたします。現在お国でも、文化の格差の話が出ていますけれども、そういうのもここに少しずつ反映されています。そしてまた、日本における体験もここに描かれています。そういう意味で興味深く読みました。更に一歩踏み込んだ何かが欲しいので奨励賞となりました」。

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奥まで描いて

「最後に、ベトナムからの留学生、関西学院大学のレ・ファン・バオ・カンさんの小説『月光』という作品です。これはご自分の祖国・ベトナムの話。フィクションが7割、実話・実体験が3割という感じですかね。と申しますのは、ベトナム戦争の頃の話なんかが書いてありますので、年齢からいって実体験されたとは思えない、様々な周りから聞いた話をまとめていらっしゃるのだと思います。間に詩のようなものを入れたり、日記風に書いたり、ダイアロジックに書いたりして、これは工夫されているんですけれども、やはり同じように更に一歩奥にあるものまで描いて頂きたい。そういう気がいたしました」。

 賞に迎合せず

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「というように、各々一長一短ではありますけれども、我々日本に居る者といたしましては、こういう形で文学をとらえているんだということは、各々のお国の事情を踏まえつつ分かって読んでいて、まぁ量がありますんで(読む側も)大変辛い思いもいたしますけれども、それなりに目が開かれた感じがいたしました。むやみに日本の状況に迎合して賞をとろうというようなことを考えずに、もっと率直に自分が今抱えている問題を、その葛藤を是であろうと否であろうと、自分のお国の事情が是であろうと否であろうとそれも含めて描いて頂くようなそういう意欲的なものがこれからも出てきて頂きたい、というのが我々委員のほうの共通した願いであると思います。これからもご自分の学業の本分と共に、こういうかたちで文化・文学・文明についても様々な発信・発言を続けて頂きたいと思います。本日はどうもおめでとうございました」。(拍手)

 贈呈式

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贈呈式に移り、作家・詩人の辻井喬氏から表彰状と賞金が受賞者一人一人に贈られた。

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続いて、各選考委員から選考の感想、及び次回作に望むことを話された。

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辻井喬氏(作家・詩人)「ひとこと感想を述べさせていただきます。一つ一つの作品につきましては、先ほど呉先生から大変的確な講評がございました。その中で私は『良い所を見つけてほめるが、自分は辛口で』というお話もございましたので、私は辛口が使えなくなりましたので、どうしようかと思っております」。(会場爆笑)

レベル向上

「しかし私は年々、少しずつではありますけれども、全体のレベルは上がってきているような気がいたしております。例えばクリコフ・マキシムさんの『再会』、これは作者が全くの非政治的ストーリーだと言っておられますけれども、やはりロシアと日本が本当に通じ合う関係になるということを心から願っている気持ちが裏打ちされているからではないかという風に私は思います。また、先ほどお話がありました『古い鉄砲の欠片』にしましても、やはりモンゴルではこういう諺があるのかな、という風に感じました。日本の国技をモンゴル出身の方が上位を独占しているのは「古い鉄砲の欠片」が多いからかなと思いました」。(会場笑い)

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「また、「母と娘のゴールデン街」をお書きになりました金 珉廷さん、これはなかなか難しい日本人が書くとジメジメしてハラハラしてしまうような題材を実にこう、健康的な筆致で書かれている。これはやはり生活に対する作者の姿勢が出ているのではないか」。

「『明日、晴れ』、いろいろ困難な状況がありますが、決して希望を無くさない。私は中国の関係では縁がございましたが、この間には文化大革命があったりいろいろありましたが、それを乗り越えて今、前向きに苦戦しているという感じがそのまま出ている」。

「そう意味ではレ・ファン・バオ・カンさんについても、これは評論のような面もありますけれども、こういった作品を読んでおりますと、私達は日本の文学観が少し狭い所へ乗り込みすぎているのかな、といった感じがいたします。周韻さんの詩『新緑』「汽車』『白いセーター』、また、ベーグ・テオドーラさんの『旦那へ』『ただいま』『色節』という詩にいたしましても、同じような印象を持ちます」。

秘めた可能性

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「賞を選ぶ側で拝見している印象では、世界は動いているな、動いていないのはもしかして日本だけかも知れないな、この賞は選ぶ側が刺激を受ける、という関係が成り立っているような感じがいたします。と同時に文学とは何かということについて、一番最初のころから我々日本の文学に携わっている者は、もう一度考えてみたい、という思いがします」。

「留学生の皆さんの作品は、日本語で書かれる作品ではありますが、これが今の出版の中で商品として受け入れられるかどうか、というのは難しいものがあります。技術的にも難しいし、しかし大きな可能性を秘めているということだけは確かです」。

「先ほど住枝さんと『もうこれで10年経つんだよなぁ』という話をしていました。この留学生文学賞は住枝さんと栖原先生、そして宮崎先生、福島みち子先生、そういった方々が手作りでここまでやってきました。この言葉の中に苦労と関心の強さが滲み出ていた様な気がいたしまして、そういう点でも今日お集まりの皆さんが奨励賞を受けたことも含めて、この賞がいよいよ盛んになっていくようにご協力いただけることは有難いことだと思います。この席を借りてあらためてお願いをいたしまして感想に代えたいと思います。どうもおめでとうございました」。

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福島 みち子 氏(ボランティア・グループCASA代表)「皆さんおめでとうございます。私は紹介がありましたCASA賞を選んだ理由というのを申し上げます。ボランティアグループ留学生相談室の特別賞CASA 賞についてはじめにお話します。心ある方が熱心に留学生の相談にのっていました。相談できる所があるととても良いということで、1986年に私が事務所を借りてそこを昼間使っていました」。

CASA賞

「1989年に中国で上海事件があって、日本に留学したいという学生さん達が増え、いろいろな問題が起こった時期があるんですね。ちょうどそういう時期にあたっていたものですから、その相談したいという学生さんたちが毎日山のようにいらっしゃるので、熱心にやりたいと仰っていた方は一年で病気になり、入院してしまったので、私は本当に困りました。けれども、当然閉めるわけにいかないので、体制を作り直して続けてまいりました」。

「2003年に経済的な理由と、そろそろ留学の最初の入り口の問題もやや解決の方向へ向かったかなぁ、ということで事務所は一応閉めました。今でも相談はやっています。そういう経緯があるものですから、若い留学生の励ましになればという思いで賞を上げています」。

「それで金 珉廷さんの『母と娘のゴールデン街』を選びました。日本がずっと抱えてきている、いわゆる在日韓国人の方、あるいはその韓国学校、朝鮮学校に通われる民族学校に対して、いろんな差別がまだ今でも残っている。そういうことが背景にある作品で、金さんはそんなに強くは書いていらっしゃらないけれども、できれば私はそういったことを今、金さんがどういう風に心の中で思っていらっしゃるのか、それが一体何なのかみたいなことをもっと書けてたら嬉しかったなぁ、という思いがあります」。

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「先ほど呉先生がおっしゃったように、マキシムさんの作品の「再会」というのがあまり好きじゃないと言ったのは私でございます。(会場笑い) 実はですね、異文化理解教室というのを私どもではやっていまして、中学生やら父兄さんがいらして、いろいろお話をしたりするという、これは決して悪いことではありませんし、子供達にとっては非常に良いことの一つではあります。それはあくまでも文部科学省がずっとやってらっしゃるんですけど、果たしてどの程度意味合いがあるかという検証は全くされていないようなものなので、その辺に対して不満を持っておりますので、マキシムさんの作品はその辺がベースになっているようですので、私はあまり好きになれないと申し上げました。マキシムさんの作品が悪いという意味では全然ありません。ずっと長年相談に携わってくるといろいろな問題が湧き上がってくるものです」。

「今回レベルもかなり上がっていて、キレイにまとめている作品が多かったと思います。ただ私はやっぱりそのまとまりがある、というだけでは何か物足りない。感じたことを一段何か突き抜けて書いてくれたら嬉しい。これからもどうぞいろいろなことに積極的に挑戦して書いて頂けたらと思います。どうもありがとうございました」。

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体験越えた作を

田原(Tien・yuan)氏(詩人・翻訳家)「残念ながら大賞なし、ということです。ですが全体的なレベルは上がったと思う。ただ、2008年のようなあのような作者が出てこなかった。先ほど呉先生の鋭いお話の中に、『素直』というのがありました。これは褒めてるか批判してるか(会場笑い)両方にもとれると思いますが、作品、特に詩の場合は生活体験、生きる経験から来るのですが、それを超えなければならない。詩にしても小説も芸術作品なんですね。プロの詩人でもそれは難しいことです。これからも頑張ってくだい」。

 乾杯の音頭をとった栖原氏

「京都で春のシンポジウムがありました。そこで今話題になっているシリン・ネザマフィさんとか、今お話をした田原さん、この賞のきっかけとなったボヤンヒシグさんも来まして、それにあと学者達、言語学者や国文学者が加わって、丸一日朝から夕方までシンポジウムを行われました。私は古い受賞者達に会えて、嬉しくてそれくらいしかあまり印象に残っていないんですけれども、ただ学者、言語学者の方ですかね、一つだけ印象に残ったことがあります」。

「日本」を異化して

「それは異化ということであります。その方は『外国人による日本語の文学というのは日本語を異化する、そういう側面を持つ』という風に仰っていました。それが印象に残っておりまして、私自身も留学生文学賞をやっていく意義というのは、日本語を異化し、日本社会を異化し、日本人を異化する、そういう力を持つのではないかと思っております。いろいろ辛口の批評もありましたけれども、皆さんどうぞめげずに(会場笑い)、たくさん書いて欲しい。思ったことをどんどん表現して、奨励賞ですから、大賞をとったわけではないので、何回でも応募できますので、大いに次も応募してください。日本語をあまり日本語らしい日本語にまとめる必要は全くないと思いますので、大いに日本語を異化して欲しいと、そのように思います」。

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5〜60名が会場を埋めた。あちこちで杯をかたむけ受賞者を囲むみ談笑する姿がみられる。

 教え子の快挙

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レ・ファン・バオ・カンさん受賞に付き添って駆けつけたTさんは「私はただの主婦ですから」と控えめだが、実はバオ・カンさんはベトナムで日本語を教えていたときの教え子だという。「賞に応募する前に原稿を送ってきて、『どうですか』ときくから、『とても感動したよ、よくわかるよ』とほめてあげたが、助詞の使い方もまだまだだし、受賞したと聞いたときはほんとにびっくりして涙が出た。がんばりやさんだったので」と。「ベトナムは戦争が終わって日が浅いから、言葉を組み立てるというのがとても遅れている国なので、よく頑張った。」バオ・カンさんは明日が就職試験の面接日とのことで「とってもいい土産ができました」と嬉しげに一人一人に挨拶してまわっていた。毎回取材しているというSさんは「受賞した詩も素直だけど、性格もとってもすなおで心が洗われますね」と話していた。

 支える人々

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選考委員では多忙で西原理恵子氏(漫画家)、体調を崩して療養中の宮崎学氏(作家)が欠席。第4回から審査委員として参加し現在は体調不良で委員を辞退した「天城越え」などの作詞家・吉岡治さんは今年も奥さんの久恵さんが「主人も大分よくなってきました」と報告していた。

片隅でこの10年を感慨 深く見つめている京都から毎回参加しているという小畠邦規さん(会社員)。「 違う国の方が 日本語で書くとどうなるんだろうというそんな興味 で 見てきたけど10年経ち盛り上がりだして先ほどは " 芸術的 な 作品 "という話があったがいつの間にかたいそうな賞 になったなとうれしくなった 。選考委員 がとても立派な方が 揃って いるので 、これからも続くといいですね」 。

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全作品への長い論評を終えてホッとした表情の呉さんは06年、審査委員を引き受けたときは作品の質についてやや懐疑的だった。が、この日は「国ごとに文学に対する考え方が違うなと思う。面白いし、勉強させてもらっている。この賞は責務として続けて生きたいし、中には化けてくれるのもある、そう簡単ではないが打率は結構高いものがある。生で感じられるのは楽しみですよ」と今では大いに評価する。

前々回の受賞者・廬 珊さんも、スタッフに混じってお手伝い。

 第2部に

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クリコフマキシムさんがここでバラライカを演奏。三角形で3弦からなるバラライカはロシアでも今ではあまり弾かないという民族楽器。やさしい音色が会場に広がり、にぎわう場内の参加者も、このときばかりは静かに聞き入っていた。音楽の研究の傍ら、尺八も趣味で弾けるそうだ。

副賞の贈呈

カシオの新型電子辞書が檸檬屋賞、CASA賞に贈られた他、平瀬卓史氏「浮世絵」が受賞者全員に贈呈された。平瀬氏は「あまり有名な物は書かないので、この絵も有名な神社の側なんですが、だから有名でないこの文学賞を応援しています」と笑いをさそった。

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つづいてこれも恒例となった感のある竹炭を使用した水沢饅頭は群馬の大野盛久氏が「一度も出席できないが、自分の代わりに」と毎回寄贈している。短い時間で慌しく交流が行われる中、最後に受賞者からひとことづつ感想があった。

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金 珉廷さん
「まさか賞がとれるとは思わなかった。ニューカマーの存在をこれから書いていきたいと思う」大学では地域・国際を専攻、韓国向け放送KBSラジオの通信員でもある。今夜も早速10時から生放送があるというので二次会は行けないと残念そう。

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ベーク テオドーラさん。
「話すより書く方が好きなので、話しは苦手ですが、楽しいいい経験になりました。「生活のテーマである3つを題材に書きました。」と振り返った。

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張 秉涛さん
「自分が経験した研究生のことを題材にしました。また妻と一緒にチャレンジします。」

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周 韻さん
「豪華で美味しいものもいっぱい食べれて、とても楽しかった。評価は厳しく言っていただいたので、これからも頑張らなければと思います」。

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レ・ファン・バオ・カンさん
「家族に知らせたら、信じてくれませんでした。友達、先生たち、皆がよろこんでくれ、喜びも何倍になりました」。

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クリコフ マキシムさん
「楽器を弾いた方が楽ですが、自分にとって大きな出来事になりました」。

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同じモンゴル人のボヤンヒシグ氏由来の賞だとは知らなかったというバットトルガ ナイラムダルさん
「エッセイは書いたり、レポート書いたりしますが、小説ははじめてです。自分の言い方が読んでいる側と読む側が正しく伝わらないのが難しい。賞をいただき、みなさんに感謝します」

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来賓を代表して次々とお祝いの言葉があった。第1回、第2回の選考委員を勤められた加藤 淳平氏も激励に駆けつけた。
「他の方へ行っていますが、これほど立派な賞になって、驚いています」

水上洋一郎氏(財団法人日韓文化協会理事長)
「縁の下の力持ちで支えてくれた皆さんに敬意を表します」

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最後に次回ポスター製作を担当する愛甲美智さんから原案の発表があった。まだ未完成だが2作を紹介。4月にはこのどちらかが全国の大学や留学生会館に掲示されることになる。8時40分閉会。

 2次会へ

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喜びの受賞式を終えて、新宿檸檬屋で二次会が行われた。次々と参集する客を著名なギタリストで檸檬屋の常連でもある ソンコ・マージュさん のギター演奏がお出迎えと贅沢な演出。静かに語りかけるような演奏の後に、クリコフさんも飛び入り演奏、檸檬屋店員の踊りやロシア民謡の合唱などでしばし、普段静かな檸檬屋とは違ったにぎやかな場になった。店に入りきれない人たちは、廊下まで臨時宴会場と化し、にぎやかな酒盛りのうちに夜は更けていった。

廊下組の主催者の一人は饅頭をほおばりながら「うーん、これじゃなかなかこの賞、やめられないなあ。それにしても檸檬屋主人がいつまでも元気でいるといいんだけど…」とこのところ体調不良で心臓病をかかえる住枝氏の健康を気遣っていた。

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(フリーライター・ししろう   写真: 冨安 大輔 )



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