[ 受賞作掲載準備中 ]
雪がパラつく2月12日、午後3時から東京・学士会館会議室で、「表彰式」が行われた。
すでに1時間前から来ているという事務局の水野昌彦さんは一人で、準備に大わらわだ。
「今回は大賞もなく奨励賞二人と受賞者が少ないから、こじんまりで準備はそんなにないですよ」
選考委員で一番のりは福島さん、そして呉さんも到着、選考会には大学の授業と重なり、レポートで選考会に参加。
宮崎学氏と呉氏が真剣な対話。
「ホテルで倒れたときは、すごい血が出たんだよ。だから呼んでくれたのは119番でなく、110番だった」
「それは宮崎さんのことだから、撃たれたと思われたんじゃない?」
と呉さん。
二人のことだから、高尚な文学談義かと思いきや、病気の話だった。
和やかな雰囲気の中、一層皆の歓迎を受けたのが、3か月の入院からこの3日に退院したばかりという住枝さん。
「朝昼晩3食食べるだけの生活だったから」
と、ふっくら元気そうだった。
受賞者の張さん、田原さんの新幹線上京組もそろい、受賞者、選考委員、事務局関係者、支援者らによるささやかな表彰式が行われた。水野さんの進行により、まず栖原さんから選考経過について。
「選考委員会は1月8日(土)に開かれ、大学の授業と重なった呉さんはレポートにして報告いただき、選考の結果、大賞なし、奨励賞二人と決まりました」
「今回の応募は、種別エッセイ33、小説22 詩16 その他 合計71作品。 男女別では男子11人、女子60人。国別応募数では アメリカ 1 イタリア 2 韓国 15タイ 1 台湾 6 中国 42 ベトナム 2 ミヤンマー 1 モンゴル 1 でした」
「財源もなく、手間もかかりますので、これまでヨタヨタやってきたわけですが、受賞者がなかったという回は一回もなかったわけで、なんとかやってきたが、一区切りついたのかななと感じています。次回の予定は未定です」
福島みち子さんから表彰状、及び賞金、副賞の授与。
奨励作品賞 小説『また、どこかで』
李 京美さん (韓国・女性・東京外語大日本語科卒業)
詩 「お婆ちゃんへのお土産」「半熟たまご」「沼」
張爽さん(中国・女性・宮城大学大学院 修士2年)
「文学の専門家でもない私がこの役をやらせていたただくのは、選考委員で一番年上だからだと思っています(笑い)。
第2回から選考委員をしてきました。この賞は留学生を励ますというのが目的ですが、ここ2〜3年、少し傾向が変わってきているように思う。日本語を書くという点ではレベルは相当高くなっているが、そうはいっても文学性を無視するわけにはいきません。
日本語を書くという点ではよくなってきた。しかし内容が平坦になってきた。社会経験やらの側面などいろいろ考えられるが、 日常的な中にも何かが描かれていないと、文学として成り立ちえません。
どこを膨らませて、どこを削るかなど工夫していけば、もっと素晴らしいものになると思う。今後も続けていかれることを期待しています」
それぞれの感想を語ってもらいましょう。
呉智英さん
「受賞した作品は読みやすく、わかりやすいのですが、軽い感じはします。出版社主催の賞とは違ってプロになるための賞というより、留学生を励まし、日本文化を学び合うという趣旨ですので、未熟であるのは構いません。私はこれを書きたかったんだという目配りを怠らず、今後も続けてほしいと思う。更に文学性を高める努力をしてください」
田原さん
「毎年期待して見てきました。やはり文学賞である以上、文学性抜きには考えられない。自分を振り返っても、25歳から日本語を勉強したんですが、母国語で書くのが一番いいわけで日本語で文学を書くのは簡単ではない。文学をやるのは心を追及するものだから、プロになるかどうかは別にして今後も頑張ってほしい」
住枝清高さん
「入院していて、選考会も欠席させてもらいました。この10年で何らかの道筋はついたのかなと思っている。応募を契機に、ずっと続けていってもっと視野を広げ、自国へ持って帰って、日本語の表現を広げて頂ければありがたい」
宮崎さん
「この10年、前半と後半では応募してくる人たちの質が変わってきたように思う。
ボヤンヒシグが書いた詩は、最初は"おうっ"というような こういう思いをもって留学しているんだということが伝わってきた。そのあと、田原さんがいて、シリン・ネザマフィさんなどの作家を輩出した。
シリンさんあたりから、文学としての体裁は整うようになった。最初受けえた「どういう思いをもっているんだ」とうといのが、段々なくなってきた。
日本でも同じで、本屋でも私小説的なジャンルが増えている。それでも文学としての問題性の追求はあってしかるべきであろう」
「もうひとつ ─ 作品より賞を媒介として、この賞には人間関係という要素があって、そんな興味もこの賞の特色になっています」
「張斯琴(内モンゴル出身)という獨協大学からドイツ、獨協へ戻るという優秀な留学生がいた。だが、彼女は日本でいくらでも就職先があったろうに、日本で就職しようとしなかった。家族の共同体に戻りたいという気持ちが強かったのか、郷里で就職した。
先日、この表彰式を前に電話をしてみた。就職して、ものすごく働いているのに給料が出ない、見習い扱いだそうです。そういう彼らの生き方も面白い。
ネパールへ帰った人も思い出すが、その後どうしていくんだろうか、どう育っていくんだろうかという興味も実はある。どこへどう根付いてくんだろうか、今回のことが何らかの役にたてればと、今後の人生も大いに期待しています」
栖原さん
「就職に受賞証明書がほしいという人もいた。少しは役にたっている」 (「どんどん大きなの出せばいい」という声あり)
張爽(チャン・シュアン)さん
「予想外でうれしかった。未熟な作品で申し訳ありません。受賞し励まされました。宮城の地元新聞のインタビューも受けました。日本語と日本文学をもっと勉強していきたい」
李 京美(イ キャンミ)さん さん
「未熟な作品 日本語が難しく感じていて、悩んでいたので、今回の受賞は勇気をもらいました。納得いくいい作品に挑戦していきたい」
向かい側の人を次々、スケッチしている平瀬さん。チラッとのぞくとすごい出来栄え。多彩な人材によってこの賞がさせられてきたこと垣間見られる瞬間だった。
浮世絵を贈呈し続けるメディア・クリエーターの平瀬卓史さん、表彰状も平瀬さんの奥様にお手伝いいただいたもの。
「扇型の図案はちょっと珍しいので、飾って楽しんでください。この会は面白そうだなというだけで義務感もなく、参加させてもらいました。10年続いてきたのはすごいことだと思います。次があれば声をかけてください」
発足当初から運営に携わってきた竹内準さん
「たまたま檸檬屋で席が隣だったボヤンヒシグ氏の作品に感動し、酔っ払いの溜まり場ことからはじまります」
「本の印税が30万ほどになり、何か役に立つことはできないかと相談、この賞をはじめました。ところがやってみると賞金の3倍も経費がかかることに気が付きました。それも檸檬屋で声をかけるとさっと集まったものですから、ここまでやってこれたのかと思う。
檸檬屋という泥沼から蓮の花がパッと咲いたようなもので、泥沼がほんとに泥沼になって、昨年つぶれてしまったので、ここらが潮時かなと思ったりしています」
カシオの最新版電子辞書を毎回贈呈された幡谷雅則さん
「物を書くのは苦手ですので、何かできることをと応援するつもりで協力させてもらいました」
映像制作の荒木裕子さん
「受賞者の関係者や、長年留文に関わっていたけど当日来られない人の為に映像で少しはお役にたてればと思います」
事実上の事務局長と冷かされながら、水野さんからも一言。
「宮崎さんの命令でボヤンさんの本を編集したのがきっかけで、ここまでやってきました。楽しく遊ばせてもらいました」
また、恒例となっている沖縄旅行。フィールドワークグループ「アジアを歩く石敢當」主宰の新川美千代さんはご家族でイギリスに滞在しているため、帰国後の4月以降に招待されることになった。
田原さんから情報のグローバル化によって中国でも文学が軽いものなっている。これは世界的な傾向なのでは、という話が出た。
栖原さんが
「何かマンガをよんでるみたい」
といえば、呉さんが
「漫画はもっと深いものがある」
と反論する一幕も。
「文学に深みがあることはいいことなのか。深刻に考えるのは社会が不幸だからで、 深みがあるのはいい社会か(笑い)。深刻に考えないで住んでる社会は、結果的にいいのではないだろうか。ただ、文学にとりつかれてしまった私たちとしてはそうでもないだろうと思うわけです。作者が身内、娘であれば、深刻に考えないで書いてくれた方が親としてはうれしい(爆笑)。アンビバレンスがあるわけで、 文学が役に立たなくなった社会がいいのかは考えなければならない」
と、呉節健在。つきない文学談義も、あっという間に2時間が経過。
「いつでも、なんでも相談してください」という温かい言葉に見送られて、会は終了した。
李 京美さんは
卒業論文で書いたものをベースに書き直して応募したもので、この賞は3年前に友人から聞いていたので、いつか応募しようと思っていた。今回は受賞は無理だから、次に頑張れればというつもりだった。受賞させていただき申し訳ない。もっと深い、重たいものを書いた方がいいのかなと勉強になりました。 ちなみに論文の結果だが、優だった」
とのこと。張爽さんは
中国語で書いて、日本語に訳すという風に仕上げました。書くのが好きだったので、応募した10月はちょうどおばあちゃんが亡くなって10年だったので、おばあちゃんのことを書いた。おばあちゃんの思いを中心に書こうとしたが、うまく思いが伝えられないなと思って、依然書いた詩を合わせて応募した。もっといい作品を書いてレベルを上げていきたい」
と、静かに抱負を語ってくれた。
(フリーライター・ししろう 写真: 冨安 大輔 )
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