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過去の投稿

2024年12月 の投稿一覧です。

2024年12月26日  | カテゴリー: 総合 | 投稿者: kazama


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冬至信仰の私ですが 
大晦日から元旦の新年の行事は
無視と想っても呑まれます(^^)
入院してる友人から 消灯延長
6人部屋の五人で紅白みてるそうです
病院の年の瀬…沁みますね
私事喪中のため 新年の挨拶を控えさせて頂きます
どなたさまも良い年をお迎え下さい

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祈り

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これが今日の そして今年の 最後の陽ざし
あそこにはまだ 今日があるのを 消えるまで見届ける

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淡雪の蜂城参道

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12月19日 月の出 今年もあと僅か
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5時55分勝沼初の始発電車 乗務員の方 おつかれさん

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いよいよ冬姿が定着した甲斐駒

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あの雲の中はすでに薄暗いのだろうか 雲にはまだ今日の残照

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ついに甲斐駒ヶ岳が白くなった

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夜明けの大菩薩嶺に光、、登山者のヘッドランプ??
LEDがこんなに透過力があるのだろうか。。

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1202 6時38分 11月の細い月が 朝の空に呑み込まれてゆく

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goodbye 2024 December

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ぶどうの黄葉と 雲海のような朝霧

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goodbye September

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秋の意匠。。積乱雲の威厳を保ってはいるが

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ゆく八月‥
どこへ?トキの冥宮ってあるのか,そんな想いが昔からある
8月31日‥それだけで唄のタイトルになりそうな字並び 
明日から学校という絶望感に打ちひしがれていた私(^^)
あの子がよく,今日までやってこれたと想う 
夏の翳りの畑の写真‥ ニーノ,ロータの
『太陽がいっぱい』を彷彿とする,
アランドロンが逝った八月
彼こそが人類の美の頂点だったと想う,いかに美貌の女性でも,
あの生い立ちからの愁いには敵わない
美には陰が必要なのだと想う

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生まれるまえからあって
死んでからもずっと 続いてゆくもの
命をこえたものを しかと見ておきたい
それが この世に生まれてきた意味
永遠が見える
そう呟いてみたい


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2024年12月21日  | カテゴリー: 登山 | 投稿者: kazama

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冬至にはいつも 新年にも増して特別な想いがあります 

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南の果てに着いた太陽が、もう明日から春に向かって北に戻り始めます。

我が家から見る南回帰線は、ちょうど南アルプスの笊が岳。夏至には甲斐駒よりずっと北上します。一年をかけて太陽は南アルプス全山を往復するわけです。

冬至というのはその折り返し点であり、他の歳時記とは違って、れっきとした天文学上の、壮大な分岐点なんですね。なんでこれを元旦にしなかったんだろうと思います。

古代人は、暗く寒い冬から、暖かい春に向かうこの分岐点を待ち焦がれ、神聖な日としていたことが、数々の遺跡からうかがえます。

私はというと、活動的な季節へ向かうのはなんとなく嬉しくなく、夜明けや夕暮れを堪能でき、縮こまっていられる(笑)この季節が好きです。

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2024年12月19日  | カテゴリー: 総合 | 投稿者: kazama

 以前に関西の関西の友人からNHKドラマ「花子とアン」の山梨弁のリアリティについて聞かれた。
役者の板につかない山梨弁には親近感を感ずるが地元としては多少の違和感はある。しかしその微妙なニュアンスまで演技に求めるのは酷だろう。一般的に演技というのは誇張気味に表現しないとメリハリがない。実際にはそこが現実との違和感につながっているのだが。。
「こぴっと」という言葉のユニークさが注目されているようだが、ドラマではいくぶんニュアンスが違って使われている。「しっかり」という意味は間違ってはいないのだが使う場面が微妙に違う。「こぴっと」は水準以上の「しっかり」には使わない。文化講演をこぴっと行う、なんて使い方ではなく、堕落して酒浸り(笑)の生活に対して、「もちっと、こぴっとせにゃあ」みたいな使い方である。より良くではなく、せめて人並みにという感じだろうか。叱咤激励のなかの叱咤の部分であり激励に使う言葉ではない。だからコピッとしろといわれた人はかなり水準以下であることを認識する必要がある。
しかしドラマで違う使われ方をしているかといって間違いとまでは言えない、元来が口語は慣用語だし方言はさらにその性格がつよい。誰かが言い出して定着すればそうなってしまう。時代とともに本来の意味とは違うものになった言葉はいくらでもある。
ただドラマでの使い方では。ほんらいの「こぴっと」の微妙さが発揮されていないと言える。方言の持ち味というのはその標準語に翻訳できない微妙さにある。 言葉はひとり歩きをしてコントロールはできない「こぴっと」は今になって狭い山梨から、いくらか行儀のよい衣を着て歩きだすのだろうか。
しかし私は相変わらずの意味で、こぴっとしなければいけないと思っている。